STAFF
患者様が生涯自分の歯でおいしく食事ができる幸せや、
すてきな笑顔を守るために、
神戸市の歯医者 灘セントラル歯科では
歯科医師をはじめ歯科衛生士、助手、受付スタッフ含め
チーム一丸となりそれぞれの知識・技術を発揮した歯科医療を提供します。
神戸市灘区にお住まいの皆様、また、灘区にお仕事や学校などで通われておられる皆様、はじめまして、灘セントラル歯科 院長の大平真司(オオヒラ シンジ)と申します。
私は開業前まで明石市のアップル歯科クリニックで副院長として、そして神戸市垂水区のスター歯科クリニックで勤務医として勤務しておりました。そして2020年、ご縁がありJR灘駅直結のクリニックモール4Fで開業することとなりました。
今後は自分が生まれ育った神戸の街を中心とした地域の皆様のお口の健康を守るお手伝いができればと思います。
医療は患者様と歯科医師をはじめとするスタッフとの人と人との繋がりです。単に痛い歯を治すのではなく、一人一人の生活や人生に役立つようにお手伝いすることが私達の使命だと思っています。そして当然ながら治療結果にご満足いただけなければ意味がありません。信頼関係を得るためには、コミュニケーションを大切にし、じっくりとお話をお伺いし、ご質問には丁寧にお答えすることが基本だと考えております。
灘セントラル歯科の特徴はカウンセリングを中心とした診療です。歯のお悩みがありましたら何でもお気軽にご相談頂ければと思います。
一人でも多くの方々の幸せを共に考え、満足度の高い医療サービスにより、社会に貢献することが目標です。そして、何より一人の人間として、コミュニケーションを大切にし、末永いお付き合いができれば幸いです。
当院はJR灘駅直結という好立地のため雨の日でも濡れることなく医院にお越し頂けます。また提携する大型駐車場もございますのでお車でもお越し頂けます。
灘区にお住まいの方のみならず、中央区、東灘区など、他地域の皆さまもお気軽にお越し下さい。
神戸市東灘区で生まれ、父、母、兄、姉、私の5人家族の中で育ちました。当時の家が六甲山のふもとにあったこともあり山や川などの大自然の中で遊ぶことが多く、末っ子ということもあり、とにかく活発でやんちゃな子供でした。
CHILDHOOD
この頃の私は本当に「よく食べ、よく遊ぶ!!」という言葉が似合うやんちゃな子供でした。友達たちと自転車で日帰り旅行したり、サッカー部に入ったり水泳したりと朝から晩まで遊んでいたので低学年の頃は勉強をした記憶がありません。また、プラモデルが大好きで自分の部屋にいろんな仕掛けをして家族や友達を驚かすようなことをしていました。ですので、テストでも赤点並みの点数をとったこともありよく親に怒られました。しかし、当時、兄と姉が塾に通っていたこともあり自分も塾に行ってみたいという好奇心で塾に通い始めるとみるみる点数が伸び、努力し成長していくことの楽しさを知りました。
また、5年生のときに阪神淡路大震災を経験しました。電気も水道も通らず、自衛隊の配給で家族が生活していく事は困難でした。神戸の町はつぶれ、倒壊と火災で多くの人が命を落としました。当時の光景は幼かった私の心に深い傷を残し今でも当時の悲惨な光景が思い出されます。震災を通して命の儚さ、そして今をしっかり生きる事の大切さを学びました。2011年3月に起きた東日本大震災では多くの人が被災され、大変ショックでした。一刻も早く東日本が復旧することを心から願っています。
SCHOOL DAYS
震災でマンションが半壊したので中学からは神戸市西区に転校しました。初めは友達がゼロでしたが、持ち前の社交性と楽しいこと好きの性格からどんどん友達ができました。そしてテニス部に入部してからはテニスに熱中しすぎて成績がどんどん落ちていきました。この頃から一つのことに集中しすぎると他が疎かになってしまう自分の性格を実感しました。
中学時代にテニスに熱中しすぎて勉強が疎かになったため勉強もしっかりやろうと思い頑張りました。そして高校2年生の進路選択の時がやってきました。私は小さい頃からプラモデルを作っているときや本を読んでいるときにものすごく集中する癖があり、そのせいか頭痛や肩こりが激しく、長年悩んでいました。そんな時にいとこの叔父(歯医者)から原因は咬み合わせにあるのではないかという指摘を受け、歯医者さんで咬みあわせの治療を行うことになりました。すると魔法にでもかかったかのように頭痛や肩こりが治ってしまったのです!「歯を少し削っただけなのになぜ肩こりが治ってしまったんだろう?」と疑問に思った私は同じように歯や、体のことで困っている人を助けたいという思いから歯学部を目指し始めました。進学校でなかったために予備校に2年間通いましたが非常に良い経験ができたと思っています。このときに努力することで叶わない夢はない!一番のライバルは諦めようとする自分である!ということを学びました。
ENCOUNTER
大学での勉強は将来に直結する内容だったので知識や技術を学ぶのがすごく楽しくて、積極的に色んなことを学びました。その成果もあり、6年間のテストで再試などはほとんどなく、国家試験の全国模試では上位の成績でした。また、大好きな硬式テニス部に入り本格的にテニスに打ち込みました。テニスと言えば個人競技と思う人が多いと思いますが、大学のテニスは団体競技です。個人で勝つのではなくみんなで勝つ!部活という縦社会の中でそれぞれがみんなのことを考えて自分に何ができるのか、何をすべきかということを学びました。また、キャプテンをすることで大勢の人をまとめあげて全体で一つの方向に向かっていくことの難しさを実感すると共に一人一人と向き合いしっかりコミニュケーションをとることの大切さを学びました。6年間、辛い時しんどい時を乗り越え部活をやりきったことは最高の財産です。また、私は楽しいことが好きなのでクラス内での旅行を計画したり、自分でチケットを作り100人バーベキュー大会などの企画、運営していました。そういったことを通して今まで知らなかった人と出会い、様々なことを学び成長していくことの楽しさをさらに実感しました。こういった経験から私は“一人一人と向き合う”ことの大切さを学びました。
COLLEGE LIFE
勤務医になり平日は仕事、休日は県外のセミナーや学会に参加して勉強する日々が続きました。平日は朝早くに出勤して医院の掃除から始まり夜まで診療を行った後は医院に残って勉強をしていました。勉強や読書、治療の練習に熱中するあまり、帰宅が深夜になることは珍しくありませんでした。
また、多くのセミナーや学会に参加することで共に切磋琢磨し、お互いを高め合う良き友がたくさんできました。正直、体力的にしんどい時期もありましたが、様々な分野の治療を学び、日々成長することが楽しいのでそんなに苦には感じませんでした。そして治療を通して患者様に感謝されたり、歯の悩みで来院された患者様がだんだんと笑顔になっていく姿を見るとやりがいを感じて本当に歯科医師になってよかったと感じました。
また、私生活では体力をつけるためにもテニスを再開したり、トライアスロンをやっていました。
DENTIST
2016年から1年8ヶ月間をかけて、妻と2人で61か国を旅しました。自分の目で世界を見てみたいという思いが昔からあり、6年間かけて計画、準備をしました。オーストラリア大陸ではキャンプをしながら1か月以上かけて車で縦断し自然の雄大さを実感しました。旧ユーゴスラビア諸国では内戦の爪痕を自分の目で見て戦争の悲惨さと民族、宗教について深く考えました。アフリカ大陸は4ヶ月かけてバスで縦断し1ヶ月間はテントで生活していました。スラム街を訪れ歯ブラシを配り歯磨き指導を行いました。南米は6か月間滞在し、日本人移民の歴史を現地で学びました。ブラジルでは1ヶ月間農場で働いて現地の方々と衣食住を共にしました。北米では雄大な自然に圧倒されました。しかし、都市では発展した経済を目の当たりにすると共に、貧富の差、資本主義経済の負の側面も目の当たりにしました。旅行中、辛い事や危険な目にあう事も多かったのですが、どんな困難なことがあっても諦めず前に進む強い意志があれば乗り越えられない壁はないと実感しました。そして、いつも共に困難を乗り越えてきた妻には本当に感謝しています。
WORLD